藤沢市の如意輪観音塔(藤沢市全域)

片膝を立て片手を頬に添える特徴的な半跏思惟の像容をもつ如意輪観音は観音菩薩の変化身のひとつであり、六観音あるいは七観音の一尊としても知られています。江戸時代の民間信仰では如意輪観音は女性との結びつきが深く、如意輪観音像が彫られたの石塔のほとんどは女性の墓碑です。藤沢市内に千基近くあるように思います。しかし墓碑以外の如意輪観音塔はそれに比べると少なく、市内に13基現存することを確認しています。これらに古いものが多いのは、観音信仰にもとづく(馬の供養塔ではない)馬頭観音と同様の傾向です。ここではこれらの13基をその銘とともに紹介します。以下既存文献を示す《文献》では馬頭観音塔を紹介した時と同じ略号を用いています。


(1) 用田458 谷戸の辻 (1683)
(2) 遠藤 宝泉寺山門下 (1749)
(3) 遠藤 宝泉寺境内 (1681)

1 用田458 谷戸の辻 舟型 天和三 (1683)
[正面]念佛講中十六人 奉供養〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕 天和三年亥三月日
《文献》史,総1,石

用田寒川神社の300mほど東にある辻に集められている石塔のひとつで、これらの中で最も古い年号をもつものです。この念仏講は女性によるものだったと思われますが、塔の由来に関する伝承は残っていないようです。具体的に何を祈念したものだったかはわかりませんが、月待ちの行事だったかもしれません。像容は簡素ながら写実的で、石に少々の欠けがあるものの銘文はきれいに残っています。

2 遠藤6098 宝泉寺山門下 角柱笠付 寛延二 (1749)
[正面]〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕西國靈塲観音
[右面](上部)佛月増輝㳒輪常轉 皇風永扇帝道遐昌 (下部)國家安全雨澤順時 五穀豊登万民和樂
[左面]ふたらくの廣き流を汲そゑて たからの泉たえすこの寺
[背面](中央に四百文字以上の長文が刻まれているが風化のため読取困難)(左端)旹寛延二己巳仲春彼岸 玉雄山寶泉拾九世現泰山□僧作謹題焉
[基礎正面]㳒界万灵←
《原文》佛月(ママ)
《文献》総3,石

遠藤宝泉寺の山門階段下にある大きな石塔の上部に如意輪観音像が見られます。宝泉寺の観音堂には、十九世泰山真月(~1754)が西国霊場巡礼を果たせなかった母親の願いを成就させるために発願したと伝わる三十三観音像が今も祀られており、この石塔はその成就を記念して泰山自身が建てたものです。風化が進んで読み取りが難しくなってしまった背面には、三十三観音造立の経緯が記されていました。この塔に如意輪観音が彫られているのは亡き母を象徴するのか、あるいは願いが叶う(如意)ことからでしょうか。

3 遠藤6098 宝泉寺境内 舟型 延宝九 (1681)
[正面](右側)延宝九辛酉十月日 遠藤村惣檀那 有縁無縁等
    (中央)……日總回向〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕
    (左側)願主西譽浄圓 導師翁譽
[正面下部]〔法名七名〕
《原文》捴(總)
《文献》総3,石

これは同じ遠藤宝泉寺の境内にある念仏塔で、以前こちらで紹介したものです。素朴な六臂像で人間的なふっくらとした顔立ちが特徴的です。この塔の右隣に同じく西誉浄円が願主と刻まれた二千日総回向の六面幢があるので、この塔も何千日総回向とあったのでしょう。また左隣にはやはり同時期の念仏塔が置かれていますが、宝泉寺は禅寺ですからこれら三基は元は別のところにあったと考えられます。遠藤に浄土宗寺院が存在したとの記録はなく、これらの僧がどこからやってきたのかは謎のままです。

(4) 高倉2167 辻 (1675)
(5) 西俣野459 墓地 (1782)
(6) 大庭5457 共同墓地 造立年不詳

4 高倉2167 辻 舟型 延宝三 (1675)
[正面](上部)延寳三乙卯歳 供養念佛講 現世安穏願者也 九月吉日敬白
    (中央)〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕
[正面下部]〔女性名十数名〕
《文献》史,総2,石

高倉の諏訪神社から400mほど南にある高鎌橋近く、現在は住宅地の一角になりましたが、かつて長後地域を東西に走る大山道沿いの辻であったところに女人念仏講による如意輪観音塔が置かれています。風化が進んでおり表情などは不明確ですが、全体に丁寧に造られている印象です。下部には十名以上の女性名が書かれていますが読み取りは困難です。この塔の隣には道標を兼ねた庚申塔があり、今では風化のため全く読めなくなっている銘文によれば、ここは大山道と藤沢道の交差点であったことがわかります。

5 西俣野459 墓地 丸彫 天明二 (1782)
[正面]〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕
[基礎正面]坂東 西國四國 秩父
[基礎右面]相刕高座郡 西俣野村 世話人 尾嶋□良兵衛 願主 北村□□
[基礎左面]天明二壬寅 霜月廿七日
《文献》石

亀井野の下屋敷交差点から東に下って西俣野に向かう県道の北側の林の中にある墓地に、丸彫りの如意輪観音塔があります。これは西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の計百ヶ所の観音霊場に加え、四国八十八ヶ所の霊場の巡礼成就を記念したものであることが台石の銘文よりわかります。塔は全体に風化が進んでいるうえ、右腕が欠落しており、頭部も補修されていますが、半跏像であることははっきりわかります。巡礼者の北村氏、造塔世話人の尾嶋氏はともに西俣野の旧家です。

6 大庭5457 北の谷共同墓地 舟型 造立年不明
[正面](中央)〔梵字キリーク(如意輪観音)〕〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕
    (左端)願主本誉□哲
《文献》総4,石

大庭城公園の北500mにある北の谷共同墓地は、かつて弥陀堂と呼ばれた浄土宗千手院があったところでした。ここに歴代墓碑とともに立派な如意輪観音塔が残っています。年号はありませんが、千手院の銘がある寛文十二年(1672)の庚申塔が墓地内にあり、これと同時期の造立かもしれません。塔は破断した部分が修復されており風化のため表情も不明確ですが、像自体はよく残っており、写実的で立体的な像容は優れた石工によるものであることを示しています。千手院の記録は何も残っていませんが、このころはその全盛期だったかもしれません。

(7) 城南 旧深勝寺墓地 (1671)
(8) 藤沢 伊勢山公園 (造立年不詳)
(9) 本鵠沼 普門寺 (1672)

7 城南1-17 旧深勝寺墓地 舟型 寛文十一 (1671)
[正面](右部)為 一切衆生現當|二世安樂也
    (中央)〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕
    (左部)寛文十一年五月廿日別法一心叟立之
《文献》石,M

国道1号線新湘南バイパスの南側、茅ヶ崎市との境界近くにかつて宗賢院の末寺だった深勝寺がありました。今は墓地だけが残っています。この個人墓域に別法一心との造立者名が刻まれている如意輪観音塔が見られます。同じ墓域に別法一心首座とある地蔵菩薩塔があり、ほかにも阿弥陀三尊をあらわす三塔(阿弥陀如来、聖観音菩薩、勢至観音菩薩)に法主、庵主とある法名がみえるので、深勝寺とゆかりの深い旧家なのでしょう。二臂の如意輪観音像は素朴ながら状態がよく、文字もきれいに残っています。

8 藤沢4-4 伊勢山公園 残欠石 造立年不明
[正面](上部)……や ……道
    (中央)〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕
    (下部)井上…… 片瀬…… 青木…… 石井……
[右面]〔猿像〕
《文献》石

藤沢の伊勢山公園の頂上付近には庚申塔がいくつか散在していますが、その中に如意輪観音像が彫られた石塔があります。左側の欠損が激しく元の形状は不明です。右面には猿の像が見られるので庚申塔だったのかもしれませんが、そうだとしたら如意輪観音を主尊とする庚申塔は非常に少なく、神奈川県に三基しか知られていないとの報告があります(こちら)から、四基目になります。正面と思われる上部に「道」の字が見えるのは道標を兼ねていたのでしょうか。

9 本鵠沼5-5-12 普門寺墓地 丸彫 寛文十二 (1672)
[正面]〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕
[背面](上部)寛文十二壬子天  〔梵字キリーク(如意輪観音)〕奉造立 十月廿六日 (下部)如意輪観音 爲二世安樂也 法心尼
《文献》総5,石

本鵠沼普門寺の本堂右の墓地の一角、鵠沼の旧家小林家の墓域に立派な丸彫りの如意輪観音塔があります。欠落している腕がありますが、六臂だったと思われます。同所にはこのほか六地蔵塔、釈迦如来塔、灯篭二基がありますが、すべて同時期に造立されたもので、今も壮観な姿で並んでいます。なお時代は下りますが、普門寺境内に「関根伝左衛門、浅場太郎右衛門、密巌山普門寺、小林三左衛門」の銘がある文政十年(1827)の庚申塔があり、小林家が代々有力家であったことが伺えます(関根伝左衛門は名主、浅場太郎右衛門は準四国八十八箇所創設者)。

(10) 江の島 延命寺 (造立年不明)
(11) 江の島 延命寺 (造立年不明)
(12) 江の島 延命寺 (造立年不明)

10 江の島1-5-3裏 延命寺 舟形 造立年不明
[正面](右側)為一切女人
    (中央)〔梵字阿弥陀三尊〕〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕
    (左側)妙感妙玄妙讃
[正面下部](銘あるも読み取り困難)
《文献》石
11 同所 丸彫 造立年不明
[正面]〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕
《文献》石
12 同所 舟形 造立年不明
[正面]〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕
[正面下部]妙栄 貞春 叶折言 貞照 鏡栄 妙□ 栄□
《文献》石

江の島の延命寺は『新編相模国風土記稿』によれば念仏堂でしたが、明治の神仏分離で廃寺になり、現在は昭和三十六年に建てられた納骨堂だけがあります。ここには非常に状態の良い大型の石仏がいくつか残っており、このうち造立年不明の如意輪観音塔が三基あります。10は納骨堂入口の半透明の囲いの中に保存されているもので、簡素な像容です。下部の銘文が読み取れないのですが、女人講によるものであることがわかります。このとなりの囲いの中には寛永十七年(1640)に念仏講により造立されたことがわかる藤沢市最古の地蔵菩薩塔があり、あるいはこの如意輪観音塔もかなり古いものなのかもしれません。なお囲いがあるため一枚の写真で塔全体を撮影することができなかったので、この写真は二枚の写真から合成したものです。

11は堂外にあるもので、きわめて写実的な二臂丸彫り像です。衣文も表現されており指の彫りも優れていてます。由緒のあるもののように見えますが残念ながら記録がなく来歴不明です。像には銘がないようですが、これだけのものですから、かつて存在した台座には何か書かれていたかもしれません。12は11の左側に並べられている六観音(以前こちらで紹介しました)の一体で、全体的に素朴なつくりのものです。如意輪観音の頭上にあるのは羽衣でしょうか。11や12のどこかに年号が刻まれていないか、側面や背面も調べてみましたが、調べられる範囲では成立年代を示す手がかりは見つけられませんでした。

(13) 江の島 第一岩屋 (1664)

13 江の島 第一岩屋 舟形 寛文四 (1664)
[正面]〔四臂如意輪観音半跏思惟像〕
《文献》石

江の島の第一岩屋に多数ある石塔群のひとつに如意輪観音塔があります。これも以前紹介した六観音(こちら)のひとつで、現在はばらばらに置かれていますが、別の塔の銘文から寛文四年に江戸浅草の奥田九兵衛が六観音として造立奉納したものであることがわかります。全体に簡素ながらも丁寧に作られており、風化も進んでおらず六塔ともよい状態で残っています。四臂の如意輪観音はあまりなく、藤沢市ではこれだけかもしれません。


ここまで、藤沢市内の墓碑以外の如意輪観音塔13基をとりあげましたが、そのうち半分の6基が四臂あるいは六臂の多臂像で、その中で造立年がわかる4基はいずれも寛文、延宝年間と古いものです。一方墓碑に彫られた如意輪観音塔はほとんどが二臂ですが、ごく少数ながら多臂像も存在します。それが市内に何基あるかは不明ですが、おそらく10基程度でしょう。そのほとんどは17世紀後半に建立されたものであると予想します。

如意輪観音の持物は、蓮華・数珠・宝珠・法輪が典型的ですが、どの腕に何を持つかは像によってばらばらで、特に決まったものはないように見えます。共通するのは右手のひとつを頬に添えることですが、この添え方も様々です。石像の場合ほとんどは手のひらを頬(というより耳)に付けていますが、6番、7番のようにこぶしを頬に付ける(ように見える)ものもあります。また少数ですが指先が頬やあごに触れる程度のものや、手のひらがあごの下に位置するものもありますが、この違いも特に意味のあるものではなさそうです。

以下墓碑に彫られた如意輪観音のうち、多臂像を中心に印象的なものをいくつかを紹介します。

(14) 石川315 共同墓地 (1684)
(15) 大庭 泉秋寺南墓地 (1672)
(16) 菖蒲沢 浄土院墓地 (1657)

14 石川3-15 共同墓地 舟形 貞享四 (1684)
[正面]月霜運清信女 〔六臂如意輪観音菩薩半跏思惟像〕 貞享四夘年十一月廿ニ日

石川の共同墓地の個人墓域にあるこの塔は、典型的な多臂如意輪観音像に見えます。造立年代もこれまでとりあげた多臂像と一致します。ふくよかな人間的な顔立ちで、彫りも立体的な立派な墓塔です。しかしよく見ると左は三手あるものの右は二手しかありません。五臂です。おそらく胸のところに失われた一手があったのでしょう。それは宝珠を持っていたと思われます。しかしこれだけしっかり彫られていて状態もよい像から一手だけがきれいに欠落するというのもやや不思議な気がします。

15 大庭5042 泉秋寺南墓地 舟形 寛文十二 (1672)
[正面]月峯良夘信士 〔六臂如意輪観音菩薩半跏思惟像〕 寛文十二子年四月廿二日
《文献》総4

これは大庭の泉秋寺の南側に位置する個人墓域にある墓塔です。泉秋寺は以前は大庭城近くにありましたが地域の開発のため現在地に移転しました。この墓域ができたのも最近で、墓石は他から移されたものです。この六臂像も典型的な如意輪観音塔でこちらは確かに六臂あります。しかしここに刻まれている人物の法名は「信士」ですから男性です。男性の墓碑に如意輪観音が彫られることはほとんどないように思うのですが、このような例がどの程度あるのか不明です。

16 菖蒲沢890 浄土院墓地 舟形 明暦三 (1657)
[正面]明暦三酉八月十五日 浄頓信士 一蓮〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 妙貞信女 正保元申四月□□日

菖蒲沢の浄土院の個人墓域にあるこの六臂像は、市内で最も古い年号をもつ如意輪観音塔かもしれません。手があごの下にある特徴的な像容で、きわめて人間的で美しいとも言える顔立ちが印象的です。ところでこの塔は古いにもかかわらず墨がずいぶん残っています。髪や眉、法輪が黒く塗られていたことがはっきりわかります。しかも胸には天蓋と思われる図が墨で描かれています。銘文の彫りに埋められた墨が残っている石像はしばしば見かけますが、像に墨で着色されたり図が描かれたものはどれくらいあるのでしょうか。それらの完成当時の姿は今と随分ちがった見栄えのするものだったことでしょう。