普門寺歴代墓所の三界万霊塔(本鵠沼)

本鵠沼の北端、JR東海道線の南に位置する普門寺は不動明王を本尊とする真言宗の寺院です。創建は享禄元年(1528)良元によるとされますが、新編相模国風土記稿(1841)にその記述はなく、「中興は善龍-延寶四年二月廿日寂す-と云ふ」とだけあります。この寺院は、江戸時代後期に地元の豪農淺場太郎右衛門と相模国準四国八十八ケ所霊場を創設したことで知られており、境内にはこれを記念する文政十年(1827)銘の大きな石碑が残されています。現在普門寺のすぐ南に藤沢市立鵠沼小学校がありますが、この学校は明治初頭に普門寺に誕生し、その校舎は大正初期まで普門寺の中にありました。

普門寺の東には、戦国時代の大名上杉憲政(1531-1561)の家臣の末裔とされる、やはり地元の豪農だった關根家本家の屋敷があります。その敷地の南側には普門寺の境外墓地があり、東半分が普門寺歴代の墓所になっています。この墓所正面には大きな五輪塔があり、銘文によれば元禄二年(1689)に建てられた三十五代良元の逆修塔のようです(写真中央左)。普門寺境内にはこの良元が造立した、中興善龍を供養する地蔵菩薩の石像が残されおり、その銘文を見ると善龍は三十四代で良元の先代であったことがわかります。

この墓域には現在17基の石塔が確認でき、そのうち僧侶の墓碑あるいは供養塔と考えられるものは13基あります。藤沢市文化財総合調査報告書第5集(1990)にはこのうち新しい五輪塔1基を除いた12基が収録されています。残り4基のうち一番古いものは明暦元年(1655)の銘をもっており、これは特定の個人の墓碑ではありません(写真左手前)。香炉を持つ地蔵菩薩座像が彫られたこの石仏は北を向いており、銘に気づきにくいのですが、よく見ると次のように刻まれています。

[正面右]明暦元年乙未霜月廿四日 鵠沼村 普門寺
[正面左」為三界万霊成佛施主□□/相州高座郡念佛□人数廿三人

正面左の下部「施主」「念佛」あたりからは読みづらく間違っているかもしれません。いずれにしても、これは普門寺にゆかりのある人々によって造立されたされた三界万霊塔ということになるでしょう。ところで鵠沼石上には「現存する鵠沼最古の石仏」とされる、承応四年(1655)五月の銘をもった石上地蔵(渡しの地蔵)があります。承応から明暦への改元はこの年の四月であり、したがって正確には明暦元年五月とあるべきところですが、この三界万霊塔はその半年後に造られたことになり、鵠沼で二番目に古い石仏と言えるかもしれません。

もっとも、仏像が彫刻された墓碑も石仏に含めるならば、鵠沼神明にある万福寺の墓地には聖観音菩薩を彫った承応二年(1653)銘の墓碑があります。一方で石仏に墓碑や文字塔を含めないことにするならば、石上地蔵は藤沢市で二番目に古い石仏であるかもしれないのですが(最古は江の島延命寺の地蔵菩薩念仏塔で寛永十七年(1640)の銘がある)、墓碑とそうでないものの区別はしばしばあいまいであり、分類学には深入りしないことにいたします。