藤沢市の如意輪観音塔(藤沢市全域)後

前項にひきつづき藤沢市内の如意輪観音塔をとりあげます。ここでは墓碑に見られる如意輪観音のうち、多臂のものを中心に造形的に興味深いものを取り上げてみたいと思います。前項でみたように多臂像は六臂がほとんどで、持物は宝輪、宝珠、蓮花、数珠が定番です。但しどの手に何をもつかは一定しておらず、手の位置も簡素なものは腹部の前に二手を置かず、光背に彫られることもあります。また頬にあてる手の形もさまざまで、手のひらを頬に密着するものから、手を握っている(ように見える)ものや、指先を頬にあてるもの、少数ですが手の位置があごの下にあるものなど造形上の差異がありますが、これらは特に意味があるものではなさそうです。

1 菖蒲沢890 浄土院墓地 (1657)
2 石川3-35 共同墓地 (1684)
3 大庭5042 泉秋寺墓地 (1672)

左の写真は菖蒲沢の浄土院の墓地にあるもので、正保元年 (1644) と明暦三年 (1657) という古い年号をもつ六臂如意輪観音塔です。法名が2つあるので夫婦の墓碑でしょう。きわめて写実的で現代的ともいえる顔立ちが印象的で、手があごの真下にあるという特徴的な造形もこの像では自然に見えます。持物とその持ち手は標準的で、光背の二手だけは浅く彫られています。ところでこの像には墨跡がかなり残っています。特に胸部に描かれたは天蓋と思われる絵は明瞭です。数珠などの持物に加え、観音像頭部の眉や鬢の位置にも墨が残っており、観音が人間として描かれてることがわかります。この墨は造塔時からあったものなのでしょうか。銘文の墨が残っている石碑はしばしばみかけますが、石仏像に墨をいれるのはどの程度一般的だったのでしょうか。

1 菖蒲沢890 浄土院 舟形 明暦三 (1657)
[正面]明暦三酉八月十五日 浄頊信士 一蓮〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 妙貞信女 正保元申四月□□日

中央の写真は石川の共同墓地にある如意輪観音墓碑で、これも人間的な顔立ちで彫りもしっかりしています。持物やその持ち手は標準的に見えますが、よく見ると五臂しかありません。宝珠をもっているはずの腹部の腕がありません。おそらく元は六臂で、何かの原因で一本剥落してしまったのでしょう。しかしこれだけしっかり彫られている像で体躯に密着しているはずの腕がきれいに取れてしまうというのもちょっと不思議な気がします。

2 石川3-35 共同墓地 舟形 貞享四 (1684)
[正面]月霜運清信女 〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 貞享四夘年十一月廿二日
《文献》総7

右の写真は大庭の曹洞宗寺院泉秋寺の墓地にあるものです。泉秋寺は宗賢院の末寺でかつては大庭城の南側の山すそにありましたが、大庭地区の区画整理にともなって現在地に移転しました。この像は確かに六臂ですが、上部左手に宝輪、上部右手に蓮華、腹部左手に宝珠、腹部右手に数珠と、持物は標準的なものの持ち手は変則的です。そしてこの塔に刻まれた法名には「信士」とあります。つまりこれは男性の墓碑です。浄土院の墓碑には夫婦と思われる法名がありましたが、如意輪観音が男性単独の墓碑に彫られるのは珍しいように思います。私はこの例しか知りませんが、他にも探せばあるのでしょうか。

3 大庭5042 泉秋寺墓地 舟形 寛文十二 (1672)
[正面]月峯良夘信士 〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 寛文十二子年四月廿二日

4 鵠沼神明3-4-37 万福寺 (1729)
5 藤沢1-5-3 妙善寺 (1689)

左の写真は鵠沼神明の浄土宗寺院万福寺にある二臂の如意輪観音塔です。かなり欠損しており年号が見えませんが、かろうじて残っている四の数字と干支から享保十四年とあったことがわかります。小さな像ですが、立体的かつ写実的で立派な円光が描かれています。如意輪観音の石像で円光が描かれているものは見かけません。江の島延命寺の六観音の如意輪観音には頭上に天衣のようなものがありましたがこれは円光には見えませんでした。何か謂れがあるものなのかもしれませんが、この塔は無縁墓域に置かれており、手掛かりはなさそうです。

4 鵠沼神明3-4-37 万福寺 舟形 享保十四 (1729)
[正面]観誉妙□信女 〔円光〕〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕 ……四己酉六月廿日

右の写真は藤沢の藤沢市民病院のすぐ南に位置する日蓮宗寺院妙善寺の無縁墓域にある六臂如意輪観音墓碑です。妙善寺にはかつて藤沢宿の本陣をつとめた蒔田氏の立派な墓域があり、この無縁墓域にも大型の墓碑や題目塔がいくつも残されています。この如意輪観音像の持物とその持ち手は標準的なもので、立体的な造りですが光背の二手だけは浅く平面的に彫られています。文字の彫りも浅くかなり読みづらいですが、かろうじて元禄三年であることがわかります。

5 藤沢1-5-3 妙善寺 舟形 元禄三 (1690)
[正面]皈元性如妙□尼 施主金子七兵衛 妙法〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 元禄三庚□年 五月廿八日

6 宮前372 共同墓地 (1683)
7 (1681)
8 (1681)

写真の三つの如意輪観音塔はいずれも宮前の共同墓地にあるものです。かつてこのあたりは丘陵地で、現在地の東側にあった長崎山の頂上には、平安時代に活躍した平良文(村岡五郎)を祖とするとの伝承をもつ村岡一族の墓域をはじめとする旧家の墓地がありましたが、地域の開発にともなって現在地に移転されました。現地に住む古老から「昔は土葬だったから、墓の移転にあたっては地面を掘り返して、出てきた骨を焼き直すなどして大変だった」と聞いたことがあります。たしかにこの墓地にある墓石は古く立派なものが多く、かつて地域の有力な氏族のものであったことが知られます。

これら三基の六臂如意輪観音像はいずれも上部左手に宝輪、上部右手に蓮華、腹部左手に宝珠、腹部右手に数珠と大庭泉秋寺の像と同じ形式で年代も近いのですが、造形は像によってかなり異なっており、これら三体はそれぞれ別の石工の手によるものに見えます。

6 宮前372 長崎山共同墓地 舟形 天和三 (1683)
[正面]皈眞花春禅尼 天和三癸亥年 〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 二月三日
7 同所 舟形 延宝九 (1681)
[正面]皈花窓妙盛菩提 延宝九乙酉天 〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 二月三日
《原文》乚(乙)(延宝九年は辛酉)合字(菩提)
8 同所 舟形 延宝四 (1676)
[正面]梅窓妙寒禅定尼 延宝四丙辰天 〔梵字〕〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 十二月五日
《原文》𫝕(辰)

9 川名584 神光寺南やぐら (1681)
10 同 神光寺北墓地 (1669)
11 片瀬3-14-14 常立寺墓地 (1706)

左の写真は川名の真言宗寺院神光寺の南側のやぐらに並べられている墓碑のひとつです。神光寺の南には市の史跡にも指定されている八世紀のものとされる横穴古墳群がありますが、そこから奥の墓地にいく途中にあります。しっかり立体的に彫られている六臂如意輪観音像で、標準的な持物と持ち手です。また神光寺には北側にも墓地があり、中央の写真はその奥のやぐらに安置されている数基の墓碑のひとつです。素朴な造りの丸彫りの二臂如意輪観音像ですが首がまったく傾いていません。頭部に修復の痕が見られますが、頬に接した手の位置からおそらく最初からこの造形だったと思われます。

神光寺の歴史については不明なことが多いようですが、嘉永四年 (1851) に近くの末寺大勝寺と合併したことが知られています。『こんな時代もありました』(1985 藤沢グリーンライオンズクラブ)に収録された古老の話によれば、かつて大勝寺は現在の神光寺の位置にありました。神光寺は別のところにあったのです。あるとき無住であった神光寺が火事で焼け、それがきっかけで神光寺と大勝寺が合併することになったところ、合併後の寺は焼けてしまった本寺の名前を継ぐことになり、結果的に大勝寺が神光寺になったとのことです。

9 川名584 神光寺南やぐら  舟形 天和元 (1681)
[正面]爲妙讃信女 天和元辛酉十二月廿一日 〔六臂如意輪観音半跏思惟像〕 施主本……
《文献》総7
10 同 神光寺北墓地 丸彫 寛文九 (1669)
[正面]〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕
[正面下部]寛文九天 施主 霊 妙海禅定尼 位 己酉八月八日
《文献》総7

右の写真は片瀬の日蓮宗寺院常立寺にある巨大な2つの無縁墓碑群塔のうちのひとつに埋め込まれているものです。こちらで紹介した海難者慰霊碑と思われる石碑はもうひとつの群塔にあります。この舟形の二臂如意輪観音像は一見ごく普通の女性の墓碑のようです。しかしここに刻まれている「七妻皆是妙成尼」は法名ではありません。七妻とは、おそらく江戸時代に女性の道徳として広く語られた七種類の妻(悪妻と善妻)のことで、これは初期仏教に遡る「スジャータ物語」に源流をもつものです。この塔が女性の講によって造られた一切女人を示すものなのか、あるいは特定のグループの女性を弔うために建てられたものなのか、どちらの可能性もありそうですが、造立の経緯の手掛かりはありません。

11 片瀬3-14-14 常立寺墓地 舟形 宝永三 (1706)
[正面]七妻皆是妙成尼 妙法〔二臂如意輪観音半跏思惟像〕 宝永三丙戌十一月二十五日