御嶽神社の石碑群(西俣野)

藤沢市中部の東端に位置する西俣野は南北に細長い形をしており、その東側は境川西岸の水田地帯、西側の台地には畑が広がり、そして東西を結ぶ急な傾斜地は山林という、昔ながらの風景を残しています。かつて西俣野村の鎮守社であった御嶽神社はその東側の山林に面したところにあり、林を背にして東の水田地帯を向いています。御嶽神社は明治のはじめまで当山派修験の御嶽山神礼寺が別当寺でしたが、神礼寺は神仏分離により廃寺となり今は何も残っていません。

御嶽神社の本殿左側には庚申塔などの石碑が7基ありますが、その一番奥にあるものが藤沢市によって有形民俗文化財に指定されている猿田彦大神石廟です。本殿に向かう階段下には「猿田彦大神石廟入口」との標石もあり、この神社の見どころであることを示しています。市指定の文化財に指定されている石碑と言っても、雨ざらしあるいは簡素な屋根で覆われている程度のものが多い中、この石廟は扉のついた覆屋の中に施錠保存されており、銘文は外から確認できません。

その横に石碑が一列に5基並んでいます。どれも風化が激しく銘文は読み取りにくいですが、左側から順に銘文を見ていきます。一番左にあるのは青面金剛像を彫った正徳三年(1713)の庚申塔です。ここに天祝という僧名が見えますが、花応院墓地にある歴代墓誌によれば、享保十年(1725)年に没した花応院四世聖運天祝です。なお赤字は風化あるいは埋没のため読み取れず既存文献を参考にして補ったことを示しています。

[正面]〔日日 六臂青面金剛立像 邪鬼 三猿〕
[正面下部]相州高座 西俣野村 庚申講人 上七人 爲二世安 立之者 正德三癸巳歳 十月吉祥 花應院 現住天祝叟

二基目は明治十五年(1882)の猿田彦大神の文字塔で、これは比較的銘文がよく残っています。

[正面]〔日月〕猿田彦大神
[右面]明治十五午年 第三月吉立
[基礎正面]講中
[基礎右面]□丸寅吉 中丸市五郎 渋谷庄五郎 飯田清右ヱ門 小林瀧藏

三基目は嘉永三年(1850)の出羽三山塔で、正面の銘は風化のため正確な読み取りは困難ですが、藤沢市文化財総合調査報告書第3集の記載で補うと次のようになります。基礎正面は別の石で隠れてまったく読むことができません。藤沢市史第一巻は正面右部を「月山 御嶽山御持」としていますが、これには疑問があります。羽黒山や月山は東叡山寛永寺の直末であり「月山 東叡山御持」だったのではないでしょうか。そのように刻まれた出羽三山塔が市外にあります。出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)が刻まれた石碑は市内に23基現存することを確認していますが、これはその中で2番目に新しいものになります。

[正面右部]月山 □□山御持
[正面中央]湯殿山大権現
[正面左部]羽黒山 正
[右面]嘉永三庚戌年九月吉日 西俣野村
[基礎正面]國先達 江戸谷中 大行院 願主 光善院 □谷 □村吉ヱ門

四基目は風化がはげしく正面はほとんど読み取れません。既存文献には、猿田彦大神の文字が刻まれているとするもの(藤沢の文化財第八集、藤沢市史第一巻など)や、青面金剛立像が彫られているとするもの(藤沢市文化財総合調査報告書第3集、藤沢市の石仏)などがありますが、かすかな彫り跡をたどってみると青面金剛童子との文字が刻まれていることがわかります。年号も正面に刻まれていたと思われますが読み取れません。また正面下部には三猿が彫られていたかもしれませんが、これも痕跡が残るのみです。

[正面]青面金剛童子
[右面]右かまくら道
[左面]左八わうし道
[基礎左面](数名の人名あるも読取困難)

五基目は明治十四年(1881)の猿田彦大神の文字塔です。これも読取困難な部分を既存文献で補うと次のようになります。この塔は天明四年(1784)塔の再建であることがわかります。基礎左面にある文殊院とは、別当神礼寺文殊院の社僧を示していますが、神仏分離後の明治十四年に文殊院を名乗っていたとは考えにくく、この基礎は天明四年のものかもしれません。

[正面]猿田
[右面]明治十四年 十有月再建
[左面]天明四辰年 十有一月
[基礎正面]講中
[基礎左面]鈴木太良右ヱ門 持丸角左衛門 尾嶋五良兵衛 文殊院
[基礎右面]田儀右衛門 喜左衛門 ……万右衛門 ………門

一番手前には、祠の中に施錠保存されている元文五年(1740)の庚申塔があります。昨年まで鳥居の横に「猿田彦大神(北向庚申様)平成二十四年十月に小栗塚より移しました」との立札が立っていました。この塔の元の位置は、藤沢市文化財総合調査報告書第3集によれば、西俣野377番地奥の現在地神塔がひっそり立っているところです。さすがに地神塔は一緒に動かせなかったのかもしれません。この塔は祠の外から銘を読むことができますが、下部は風化が激しいため藤沢市史第一巻を引用しました。

[正面右側]元文五庚申 西俣野村
[正面中央]〔日月 六臂青面金剛立像 三猿〕
[正面左側]十二月吉日 中北久保
[正面下部]七兵衛 伊左ヱ門 三右ヱ門 次左ヱ門 久左ヱ門 嘉兵衛 半兵衛

かつて中央の5基は西俣野暗渠排水之碑(1933)とともに階段下の参道左側に置かれていました。そこには「御嶽山神礼寺文殊院跡」と書かれた標柱もありましたが、2010年ごろ5基は階段上の本殿左側に移され、西俣野暗渠排水之碑は瞽女淵に移設されました。標柱も取り払われ、昔ここに別当寺があったことを示すものはなくなってしまいました。