善行大橋の神像塔(善行)

小田急鉄道の善行駅から400mほど西に行ったところに善行大橋という名称の交差点があります。まわりを見渡しても大きな橋らしきものはなく、しかも五叉路になっているので慣れないと道を間違えそうなところです。写真はこの交差点を南からパノラマ撮影したものです。ここを左(南西方向)に曲がって100mほど進むと小さな川をわたる橋があり、これが善行大橋と呼ばれるものですが、車で通行したらそこが橋であることには気づかないくらいささやかな大橋です。

この交差点から北に向う道が2本あり、その分岐のところにある高い木の下に石塔が一基祀られています(写真の信号機の向こう側)。この塔はあまり文献にはとりあげられていないようですが、合掌している男神立像が彫られています。そこに刻まれた銘は下記の通りで、天保九年(1838)に建てられたものであることがわかります。施主の志村家は江戸時代から続く善行の旧家のひとつです。交差点に祀られているということは、これは塞の神でしょうか。

[正面]〔男神立像(合掌)〕
[右面]天保九戌八月吉日
[左面]施主志村氏

今では著しく市街化が進みましたが、明治のはじめまで善行の集落は20軒~30軒であったとされています。明治末期の地図をみても小さな集落であったことがわかります。この頃はまだ鉄道も走っておらず、善行大橋もありません。石塔の位置が昔と変わっていないとすれば、この場所は善行集落に南から入る道の集落入口になります。たしかにこの石塔は塞の神として村を守っていたようにも思われますが、像容は馬頭観音に見えなくもありません。いずれにしても今も地元の人々によって大切にされ、五穀豊穣が祈念されている様子がうかがえます。なおこの道は白旗神社に通じており、今もほぼそのままの道筋で残っています(最初の写真の右の道)。

国土地理院明治三十九年測図地図に加筆

善行大橋がわたる川は白幡川と呼ばれる境川の支流で、亀井野を源流とし藤會橋から善行地区に入り、集落からは南に流れて白旗神社の南から境川に合流します。地図を見ると白幡川沿いがかつて水田であったことがわかります。源流の亀井野南部ではいまも稲作がおこなわれていますが、善行の水田は宅地化にともなって消滅しました。現在白幡川は善行大橋から北が暗渠になっており、藤會橋の先までその流れをみることはできなくなっています。