下土棚大下の道祖神塔(下土棚)

小田急鉄道長後駅から南西に広がる下土棚の全体を地図で眺めてみると、その南西部や南東部はえぐられているような形をしていることに気づきます。切り取られたかのような区域はかつて下土棚に含まれていたところで、南西部は昭和二十年代に土棚が新設され現在その大部分はいすゞ自動車の敷地に、南東部は昭和三十年代にはじまった区画整理によって今は湘南台の一部となっています。

現在の下土棚の西部―かつての下土棚の中央部―には南北に引地川が流れています。そしてその西側には、円行大橋から夏苅交差点に向かって引地川と並行に旧道が南北に走っています。この道は、座間にある星谷観音に至る巡礼道として地元では「ほしのや道」とも呼ばれていました。かつてこの道沿いには道標をかねた石塔がいくつかありましたが、移設されたり失われたりで残っているものは少なくなりました。

国土地理院地図に加筆

この旧道のすぐ西の脇道の住宅の塀沿いに、延享三年(1746)銘の庚申塔が2019年頃まであったのですが、今はなく所在不明です。そして旧道をはさんでその反対側の東の坂を降りたところに、これも2020年頃まで道祖神塔がありました。それは北側の林の斜面で、夏場は草に埋もれてしまうような場所です。この道祖神塔は既存の文献には集録されておらず、地元以外ではほとんど知られていなかったと思います。私は、藤沢の道祖神塔を調べあげた個人のホームページでその存在を知りました(こちら)。

この道祖神塔は風化が進んでおり銘文は読めそうで読めず、いつの時代のものなのかは不明です。また同所には石臼と石柱の一部も置かれており、石柱には銘文が刻まれているもののやはり風化が著しく読めません。この道祖神塔はいつのまにか石柱残欠とともに長後市民センターに移設されていました。長後市民センターには、このような行き場を失った石塔がたくさん集められています。

私はあるとき、この近くの小屋で地場野菜を売っていたおばあさんに、行方不明になっている庚申塔がどこに行ったか知りませんかと尋ねてみました。この庚申塔は小屋のすぐ後ろにあったはずなのですが、残念ながらおばあさんはその存在を知らず、逆に道祖神塔がどうなったか知らないかと尋ねられました。この時にはすでに道祖神塔は移設されていたのです。それはおばあさんにとって重大関心事のようでした。

長後市民センターに移設されていますよと教えてあげたらとても喜んで、「それはよかった。燃やしてしまったのかと心配していた。無事でよかった。それにしても動かしたのならなぜ知らせてくれなかったのか」と繰り返し言っていました。庚申塔の方は民家が更地になっていたので、土地売買にともなってそこには置いておけなくなったと思われますが、この道祖神塔も地主が変わったのでしょうか。心配するおばあさんがいるということは道祖神の役割はまだ終わっていないようです。

現在この道祖神塔があったところには石臼だけが残されており、かつての痕跡をわずかにとどめています。野菜販売の小屋はごく最近撤去され、まわりあった木々もすべて伐採され更地となり、小屋があった形跡は完全に失われてしまいました。