長後市民センターの石碑群(長後)

小田急電鉄長後駅から、かつて柏尾通り大山道と呼ばれた旧道を西南に300mほど下ったところに、藤沢市の行政機能と地域の公民館としての機能をあわせもつ長後市民センターがあります。広い敷地と三階建ての立派な建物が印象的ですが、ここはかつて相模殖産学校という私立の農業学校でした。この学校は昭和9年に設立され、その後旧制農業中学校、相模高等学校と名前を変え、昭和31年までこの地にありました。その後建物が改造され藤沢市の長後支所として再スタートしました。

この敷地内西側には、地域の都市化によって行き場を失った石碑がたくさん集められ、整然と並べられています。このうち20基には番号札が立てられており、地元の方々によって2019年に設置された立看板にその番号を参照するかたちでそれぞれの塔の元あった位置や銘文が示されています。中には移設や再建の経緯が書かているものもあり、貴重な情報源となっています。石碑は庚申塔、道祖神塔、道標、馬頭観音塔、不動明王像、富士講碑、句碑などバラエティに富んでいます。相模殖産学校を設立した渡邉信雄氏の業績を教え子たちが称えた顕彰碑も含まれています。

上の写真の右側にこの20基が並べられていますが、その後も引き取りの要請があるのでしょう、石碑は増え続けており、現在まで新たに5基が仲間に加わっています。それらは上の写真の左側に並べられているのですが、まだ番号札も立看板も設置されていませんので、ここでこれら5基(下の写真)の銘文をその旧位置とともにあげておきます。

手前の二基は、下土棚大下から夏苅交差点に向かう星の谷道の東側(下土棚1635付近)にあったもので、2019年ごろ移設されました。ひとつは天明二年(1782)の銘をもつ道標を兼ねた庚申塔で、もうひとつは寛政九年(1797)に造立された灯篭の一部とされているものです。これらにはそれぞれ次の銘文が刻まれています。赤字は読み取り困難な文字を他の文献を参考にして補ったものです。

どちらも基礎石は剥落のため読み取りにくくなっていますが、二基に共通する人名が多くあります。またこの旧位置のすぐ近くに別の庚申塔が二基現存しており、そのうち藤沢市の指定文化財として知られている文化三年(1806)塔の銘文にはやはり薩田、矢治、金子、柳川などの姓がみられ、ここは当時大下集落の中心地であったと思われます。

[正面]〔日月 六臂青面金剛立像 邪鬼〕
[右面]右ほしのや道
[左面]天明二壬寅十一月吉日 相刕髙座郡下土棚邑
[基礎正面]〔三猿〕
[基礎右面]薩田勘兵衛 同与右ヱ門 同左ヱ門 同忠右ヱ門
[基礎左面]矢地平兵衛 薩田庄右ヱ門 金子勘右ヱ門 栁川五兵衛

[正面]奉納御寳前
[右面]寛政九年 巳九月吉日 
[右面下部]金子勘右ヱ門 同庄五郎 矢地半左ヱ門 同平兵衛 同太良右ヱ門
[左面]相州高座郡 下土棚村
[左面下部]□田庄…… 同五左ヱ門 同忠右ヱ門 同勘兵衛

中央の石碑は、2018年ごろまで下土棚諏訪棚の大山道と星の谷道の分岐点(下土棚1748付近)にあったものです。左面は剥離により年号は読み取れなくなっていますが、藤沢市史第1巻の記載によれば明和七年(1770)に建てられたものです。大山道や星の谷道という文字は今もはっきりしており、これらの記載から旧位置は造立時以来の場所であり、この塔は道しるべとして重要な役割をはたしていたことがわかります。

[正面]左大山道
[右面]右星の谷道 宿長後村世話人 □□□ ▢▢衛門 清左衛門
[左面]明和七寅年 九月吉祥日

四番目の石碑は以前紹介した下土棚大下の道祖神塔で(こちら)、2020年頃に移設されました。以前は正面右上に年号らしき文字がかすかに見えていたのですが、今はその部分は剥落しており銘を復元することは不可能になってしまいました。なおこの道祖神塔の後方に横置きされていた小さな石柱も一緒に移設され、やはり道祖神塔の後ろに置かれています。

[正面]〔二神立像〕

一番奥の石碑は、長後山王添の個人宅の壁沿い(長後2435)に2019年ごろまであったものです。風化がかなり進んでおり今にも倒壊しそうな状態にありますが、左面の年号ははっきり読み取れます。

[正面]〔日月 六臂青面金剛立像 三猿〕
[右面]相州高座郡長後村 奉納庚申供養 同行八人
[左面]寛保元年酉ノ十月吉日

これら現在長後市民センターに集められている石碑の旧位置を地図に示したものが下の図です。数字は塔の番号札に示された番号で、n1番からn4番は新たに加わった塔をここに示した順に番号付けたものです。なお山王添の塔n5番はこの地図よりもかなり北にあるのでここには含まれていません。1番から20番は籔鼻の辻(長後四つ角)周辺から夏苅の辻にいたる大山道沿いにあったのに対して、n1番からn4番は星の谷道沿いにあったものであることがわかります。

国土地理院地図に加筆

長後市民センターには小さな石碑なら追加で置くスペースがまだ若干あるように見えます。行方不明になっていた塔がある日ここで見つかるということが今後もあるかもしれません。